ピカソの聖地 アンダルシア編③

マラガはピカソ出生の地としても有名です。

マラガのハイトーンな色合いがそれを納得させます。上の画像はラ・マラゲータ闘牛場の前にあったモニュメント。ピカソ風のデザインですが作者はわかりません。この闘牛場は1874年から残っていて、現在でも闘牛が行われています。結局タイミング合わず闘牛は見られなかったのですが、よく考えると目の前で牛が死ぬ所を見るのはちょっと怖いような……

ちなみに闘牛のシーズンは3月から10月中旬までで主に日曜日開催です。


現在のマラガは港沿いに高層マンションが立ち並びます。

港の観光地といった雰囲気なので、日本でいうところの鎌倉とか藤沢に近いのかな。


この日はヒブラルファロ城まで行ってみようと思って城のある方へ向かっていたのですが、いつまで経っても入り口が見つからずしばらく城壁にそって急な坂道を歩いていました。左手に上から見たラ・マラゲータ闘牛場が見えます。


30分くらい急勾配な坂道を歩いたらなんと行き止まり……完全に道を間違えました。ポルトガルからスペインを旅行している期間、毎日10キロ以上は歩いていたので足腰鍛えられて筋肉痛にならなくなりました。笑


街の方へ下っていくと城の入り口がありました。けど歩き疲れたしもう満足したので行くのは辞めました。旅行のときは頑張りすぎないのが一番です。


立派な遺跡。

この近くの売店で500mlのコーラを買ったら店員の女性がすごい無愛想だったのと、1本で2.5€くらい取られたのが印象に残りました。マラガは全体的に食品の価格が高かったような。


連日歩いたり美術館行ったりでだいぶ体の疲れがきていたけど、せっかくなのでピカソ美術館にも行く事に。マドリッドでも美術館に行ったばかりだったので、焼き肉食べた次の日にステーキ食べるような気分でした。ここにはピカソの家族による寄贈作品が展示されています。


他の美術館と比べると若いころや晩年期の作品が多く、更にオーディオガイドに日本語音声が有る(!)うえ全作品を解説してくれます。これは本当に嬉しい。


「画家の仕事は部屋に飾る絵を描くだけではない。時に画家は政治家でなくてはいけない。絵画は人間を守るものでもあり、攻撃するための武器なのだ。」


激しい時代の移り変わりの中で数々のメッセージを残したピカソ。彼の劇的な作風は絵画と戦時中の画家としての役割を、未来の私たちに伝えるために描かれたように感じました。


(画像:wikipediaより ゲルニカ市にある実物大のタペストリー)

マドリッドのソフィア王妃芸術センターで「ゲルニカ」を見た後だったのですが、絵画には印刷物には出せない気のようなものがあります。教科書でしか見たことがなかったので映画のスクリーン程あるキャンバスの大きさに驚きました。サイズが大きければその分絵を描く労力も大きいですから、ゲルニカは戦時中でも屈しないピカソのエネルギーの強さを物語っています。(そんな中、2回も結婚して愛人作って晩年まで浮気できるほどの体力ですからね)


手描きの絵画を見ていると描かれた時代を感じるだけでなく、その作家の魂に触れるような気にさせられます。


つづく


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